旧岩崎邸家具修復
ジョサイア・コンドルの設計による国指定重要文化財、旧岩崎邸洋館の収蔵家具の修復を2023年春から夏にかけて行いました。
戦後に所有者や使用者がたびたび変わったために、現在残されている家具がそれぞれいつの時代にこの館に来たものか、どこで作られたものかなど確かな情報が乏しく不明な点も多いのですが、いずれもクオリティの非常に高い家具でした。オリジナルの材料や塗装方法を見極めながら、少しずつ丁寧に修復を進めました。
今回は、プランツスタンド(花台)、パーテーション(衝立)、1人掛けソファ、3人掛けソファ、ホールベンチを修復しました。
旧岩崎邸洋館 ジョサイア・コンドルの設計により1896年(明治29)年に完成。17世紀の英国ジャコビアン様式の見事な装飾が随所に見られ、イギリス・ルネサンス様式やイスラーム風のモティーフなどが採り入れられている。洋館南側は列柱の並ぶベランダ(東南アジアの植民地で発達したコロニアル様式を踏襲)で、1階列柱はトスカナ式、2階列柱はイオニア式の特徴を持っている。また、1階のベランダには、英国ミントン製のタイルが目地無く敷き詰められ、2階には貴重な金唐革紙の壁紙が貼られた客室もある。岩崎久彌の留学先である米国・ペンシルヴァニアのカントリーハウスのイメージ も採り入れられた。併置された和館との巧みなバランスは、世界の住宅史においても希有の建築とされている。
往時は、主に年1回の岩崎家の集まりや外国人、賓客を招いてのパーティーなどプライベートな迎賓館として使用された。
Josiah Conder(ジョサイア・コンドル) イギリスの建築家。明治10年に工部大学校(現・東京大学工学部)の造家学(建築学)教師として来日し、西洋建築学を教えた。また明治期の洋館の建築家としても活躍し、上野博物館や鹿鳴館、有栖川宮邸などを設計した。辰野金吾をはじめ創成期の日本人建築家を育成し、明治以後の日本建築界の基礎を築いた。明治23年に退官した後も民間で建築設計事務所を開設し、ニコライ堂や三菱1号館など多くの建築物を設計した。
プランツスタンド の修復
プランツスタンド(花台)は大理石の天板を持ち、脚部に真鍮のリード装飾がアクセントになっています。
経年によって大理石下部天板の割れ、側面鏡板及びベース部分の突板の剥がれ、脚部の真鍮のリード部材の剥離が見られました。
使用木材は、家具業界では通常サクラとも呼ばれる事が多い真樺が使われています。
①天板修復
天板面材塗装面劣化により、剥離及び新規塗装。
天板木部(大理石の下)の割れの接着。
②側板修復
各側板(4面)鏡板部分突板再接着及び欠損箇所新規製作の上、剥離及び新規塗装。
③底板・中央中板裏修復
突板再接着及び欠損箇所新規製作の上、剥離及び新規塗装。中央中板裏の突板再接着。
④脚部修復
脚部真鍮装飾金物が外れた箇所の再固定。
⑤全体クリーニングの上リタッチ後、ニトロセルロースラッカーにて塗装。
パーテーションの修復
パーテーション(衝立)は、3枚の分厚いエッチングガラスが入った大型で重厚感のあるものです。特にガラス部分は、他ではあまり見る事のできない深い彫りの細工が見事です。
ガラス部分は非常に綺麗な保存状態でしたので、クリーニングのみで大丈夫でした。木部には上部の突板剥がれと欠損、下部鏡板剥がれと塗装の色抜け補修、脚部塗装、全体の色合わせを行いました。
全体として重量があり、移動時にガラス部分の破損の恐れがあることから現場での修復作業となりました。エッチングガラス部には市販のプラダン製の養生シートを加工しピッタリと貼り付け、作業時の保護を万全にします。下部の鏡板の化粧板の剥がれの修復は、本体と床面との間に隙間のないデザインでC型クランプなどを使えない場所なので、建築足場用の単菅を加工して型枠を作り両面から均等に圧を掛け接着していきます。作業内容と共に作業工程、補助部材の検討も修復業務の重要な部分です。
①本体木部修復
本体上部突板現存部材を右側(裏面は左側)に移設後、欠損部材を新規製作の上、接着。
②本体木部修復
本体下部鏡板部分(計6枚)突板再接着し、リタッチにより補色。
③全体クリーニング後リタッチにより補色し、ワックスで仕上げ。
1人掛けソファの修復
1890年代英国HOWARD&SONS社製の1人掛けソファは、竣工時に館にあったものと伝えられています。
過去に2度ほど張り替えられた跡があります。内部のコイルスプリングはオリジナルのものを活かして使用。構造に強度が不足しているために、全体を解体してから隅木を交換して締め直します。
①本体修復
本体の解体をし、接着及び組立を行い、構造上の強度を確保。
②本体塗装修復
本体木部の外装部分をタッチアップし、シェラックニスにて塗装。
③生地張り修復
全体の生地及び内部の張り替え。
内部の構造や作り方から、明治期に日本で製造された洋家具。いわゆる芝家具と呼ばれるものと思われます。
過去に何度か張り替えを施されていますが、機械式タッカー(建築用ステイプラー)も使用されていることから、1962年以降にも張替えがされている様です。おそらくその時の張替え時に強度不足を補うために構造材に当て木をしたりしていますが、今回の修復では一度解体し部材を作り直し、出来るだけオリジナルの構造に戻し強度を高めます。中材はオリジナルのコイルスプリングを吊り直し、衛生的に問題のある黒綿、藁などをウレタンに交換しています。
3人掛けソファの修復
①本体修復
本体の解体をし、接着及び組立を行い、構造上の強度を確保。
②本体塗装修復
本体の木部の外装部分をタッチアップし、シェラックニスにて塗装。
③生地張り修復
全体の生地及び内部の張り替え。
ホールベンチの修復
オーク材、跳ね上げ式の天板内部に桐の中仕切、中蓋を持つホールベンチ。また、陶製と思われる珍しい捩じ込み式の脚を持っています。
本体解体後、稼働部分の精度を調整して組み直しました。天板割れは隙間の埋め木をして、全体の再塗装を施します。内部の箱、蓋部分をクリーニングしすり合わせ設置しました。
①天板修復
天板面の表面と裏面の縮みによる隙間の埋め木と、塗装面が劣化しているため剥離の上新規塗装。
②本体修復
本体を解体し、接着の上組み直し、天板面の開閉部分の可動の調整。
③内部修復
内部シューボックスは状態が良好のため、クリーニングし現状維持。
④塗装修復
本体クリーニング後タッチアップし、全体をシェラックニスにて塗装。
旧岩崎邸は、全体のバランスと細部にまでこだわった装飾が見事に調和した明治期を代表する洋館建築です。訪れるたびに新しい発見があり、飽く事がありません。
当時英国で人気を博したジャコビアンリバイバルの様式を踏襲しつつも、ジョサイア・コンドルの自由な発想は祖国から遠く離れた明治の日本において他に類を見ない”洋館”を生み出しました。
本来岩崎家の私邸であるために、家具などについての資料がほとんど残っておらず資料を探しながらの作業となりましたが、当時の生活が少しずつでも再現できればと思います。