GEOGRAPHICA

Botanical Art

2018/05/11 | 読み物

植物や、植物学を意味するBotany=ボタニーは、牧草を意味するギリシャ語Botane=ボタネが語源とされています。 Botanical Art=ボタニカルアートは植物の構造や、外形的特徴を詳細に観察し、忠実に写し取った描画のことです。16世紀頃から手書き以外にも様々な技法で制作されていますが写真機が発明される以前の時代に、植物の種を同定し、その情報を共有するためには特に正確な描写が必要とされました。それゆえ、ボタニカルアートは基本的に実物大で描かれ、背景などの不要な情報を入れず、植木鉢や花瓶などの人工物が描き込まれることもありません。

ボタニカルアートの誕生

大航海時代に世界中を旅したプラントハンター(植物採集家)たちは、世界各地からさまざまな珍しい植物を英国に持ち帰りました。また、現地において自然に生育した植物を正確に描写するために探検家と画家が一緒に未開の地に赴くことも珍しくなかったようです。それらの生き生きとした植物の絵は博物学的のみならず、エキゾチズムの一種としても受け入れられて行きます。

18世紀ロンドン郊外に設立されたキュー王立植物園では、植物を有用な資源として利用するために品種改良などが盛んに行われていました。そのため、持ち込まれる未知の植物の記録と研究のために精密な植物画が多く描かれるようになりました。
その後、マーガレット・ミーン、シデナム・エドワーズなどの優れた植物画家が相次いで現れ、記録図版としての植物画は芸術性と融合しボタニカル・アートとして発展していきます。

1787年にロンドンでウィリアム・カーティスにより『カーティス・ボタニカル・マガジン』が創刊され、植物と園芸への人々の関心はさらに高まって行きます。それら植物画や、博物画の流行はウィリアム・モリスなどの図案にも影響を与え、アーツアンドクラフト運動とともに一般に広まっていきます。

18世紀の英国と自然愛好

現在の英国人の植物や自然に関する考えは18世紀にその基礎が確立しました。
大航海時代を経て17世紀のヨーロッパは戦乱に明け暮れます。また、小氷河期の到来によって天候不順になり作物は不作が続き経済が停滞していました。さらに、ペストなど疫病の流行により、増え続けていた人口が減少に転じ封建体制も転換期を迎えます。
転じて18世紀の英国では、いち早く農業革命を成し遂げ、農業生産の飛躍的向上を受け人口が大きく増加していきます。その勢いは英国を他国に先駆け産業革命に向かわせることになります。
英国各地において富裕な大規模ジェントリ(地主層)が誕生し、広大な屋敷と庭園を所有するようになると次第にそれらをより美しく見せることに気を使うようになっていきます。
新興富裕層であるジェントリらは、16世紀のシンメトリカルなイタリア式庭園や、17世紀のフランス式庭園の人工的な造形を否定します。自然を征服、支配することで王の権力を示すような古い価値観に基づいた宮廷式庭園を嫌い、より自然に近い景観に価値を見出しました。当時のジャーナリストや思想家も庭園の自然回帰を唱え始めていました。

イタリア式庭園(参考画像:Wikipediaより)
フランス式庭園(参考画像:Wikipediaより)
カーティス・ボタニカル・マガジン
(参考画像:Wikipediaより)

自然回帰は身近な自然の再発見をもたらします。プランツハンターのもたらす異国の植物だけではなく、在来植物への関心も広げて行ったのです。前述のウィリアム・カーティスは、『カーティス・ボタニカル・マガジン』の発行以前、1777年に『ロンドンの植物』を発刊しており、都会のなかの自然を先駆的に紹介しています。
同時代にバッキンガムシャーのストウ屋敷の主任庭師であったウィリアム・ケントにより、風景式庭園(Landscape Garden)の概念が確立されます。

以降、そのアシスタントであったランスロット・ブラウンによって風景式庭園はイングランド地方を中心にまたたくまに広がり、現在の英国の原風景とも言える遠くまで見渡すことが出来るなだらかな丘陵と小川、豊かな湖水と点在する潅木、姿の良いシンボルツリーなどの絵画的な景観が完成して行きます。
特にランスロット・ブラウンはストウ屋敷やチャツワースをはじめとして170にも及ぶ庭園を設計し、「この庭は、もっと素晴らしい庭園になる将来性(ケイパビリティ)がある」と言う彼の口癖から(Capability=Brown ケイパビリティ=ブラウン)の愛称で知られることになります。

現在、一般的にイングリッシュ・ガーデンと呼ばれ親しまれている庭園は、19世紀以降に急増した中流階級の人々が住む田舎家(コテージ)に付随したものですが、 もとはこの風景式庭園が原型になっています。
このように18世紀の英国において、自然は抗い、征服するものから、共存、共生する対象へと徐々に変わっていきました。室内に飾られる絵画も宗教的なモティーフから、自然風景や、植物のモティーフへと変化を見せ、ボタニカル・アートの隆盛に繋がって行きます。

ランスロット・ブラウン
(参考画像:Wikipediaより)

ボタニカルアートの技法

木版
Wood Cut ウッドカット紙に刷り出される線を残して彫り、凸版を作る技法。16世紀頃の図案に多い。
Wood Engraving ウッド エングレービング線刻銅版画に用いる彫具を用いて線の方を彫りこみ、凹版を作る技法。木口木版とも呼ばれている。18世紀末~19世紀末に用いられ、この時代の代表的な技法。


金属版
Engraving エングレービング主に銅版を使用し、彫線用の器具を使って版面に傷をつ着けていく技法。削られた凹面にインクが残り刷ると黒い線が表れる。
Etching 腐食製版と呼ばれる技法。金属面に針などで傷を着けたあと酸で腐食させ凹面を作りインクをためて刷る技法。この方法では線のみならず、面の表現も可能である。線刻だけのエッチングは18世紀までが主である。
Mezzotint メゾチント 17世紀にドイツで考案された技法。最初に金属板の全面に無数の傷を着け目立てを行い、次に特殊な道具で転写した下絵をスクレーパーと呼ばれる道具で描画します。18世紀に最も活用されたが、比較的珍しい技法。
Aqua Tint アクアチント 腐食防止の松ヤニを粒子状にし、銅版に熱で定着させた後腐食させる。松ヤニの粒子の隙間の銅面のみ腐食させることで面の表現が可能になる。淡は腐食の時間で調節する。

Stipple スティップル 金属面に細かい点を刻んで描画する方法。これは、銅版カラー印刷の技法として好まれ、英国では18世紀末、フランスでは19世紀始めに技術が確立され、精密さを要求される博物、植物図版に多く用いられた。


石版 
Lithographe リトグラフ 水と油の反発作用を利用した版画で、「描画」「製版」「刷り」の3工程にわかれる。独特のテクスチャや、強い線、きめ細かい線、筆の効果、インクの飛ばした効果など、描写したものをそのまま紙に刷ることが可能。18世紀にドイツで考案され、1850年代以降は「石の時代」と呼ばれるほど流行した。
Chromo lithograph クロモリトグラフ 19世紀中頃以降に一般的になった多色刷りのリトグラフ。それ以前はほぼ手彩色されていた。凹凸がない平面の石版を使用するために版が傷みにくく大量に印刷することが可能となった。現代のオフセット印刷の基礎となった技術。

※ 作品提供・参照 ボタニーアイ
http://www.botanyeye.com